『おひさまのかけらを地下から呼吸する』

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<<   作成日時 : 2007/07/19 00:00   >>

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天下分け目の戦いは、安土桃山時代の1600(慶長5)年に美濃国不破郡
関ヶ原(岐阜県不破郡関ヶ原町)で起こりました。
この戦いで徳川の実権は定まりました。
しかしながら、世相には、どんよりとした暗雲が未だ立ち込めていました。
民(タミ)は、そういう空気を晴らすために刹那的な享楽(キョウラク)に走りがち
でした。
  
  月よ花よと 暮らせただ
  程(ホド)はないもの うき世(ヨ)は
  
  泣いても笑うても 行くものを
  月よ花よと 遊べただ

1603(慶長8)年春4月、出雲阿国(イズモノオクニ)が京都府京都市上京区馬
喰町(北野天満宮)に忽然(コツゼン)と現れます。
路上Liveです。
画像
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「異風ナル男ノ真似(マネ)ヲシテ、刀、脇差、衣装以下殊(トクニ)異相」
「彼男(カノオトコ)、茶屋ノ女ト戯(タワム)ル體(テイ)、有難(アリガ)クシタリ」※※
                                  【当代記】
念佛踊りを手始めに、歌を交え、塗笠(ヌリガサ)に紅(クレナイ)の腰蓑(コシミノ)
を纏(マト)い、鳧鉦(カケカネ)を首にかけ、笛鼓(フエヅツミ)に拍子をあわせた
踊りでした。※※※
派手な出で立ちで男装の阿国(オクニ)が放つ異様な妖気と官能の力は
京の町に漂う暗雲を吹き飛ばしました。

この衝撃的Liveの成功の後、阿国は、狂言師である夫三十郎、延年
の舞い手傳介(デンスケ)※※※※とを連れ立ち、三條縄手の東方、祇園
の後ろに舞台を立て町の中に進出しました。
稚児(チゴ)が糸をよるそばで、女装した傳介が、男装した阿国を心待ち
にしている「糸綸(イトヨリ)」が好評を博(ハク)しました。
阿国の斬新な趣向は、とどまるところを知りませんでした。

阿国の愛人に名古屋山三朗(ナゴヤサンサブロウ)がいました。
山三郎は、戦国屈指の槍の名人でもあり、不破萬作と並び称せられた
天下に知れ渡った美男でした。
当代きっての伊達男(ダテオトコ)で、数知れないほどの浮き名を流していま
した。
傾城踊(カブキオドリ)の阿国と当代きっての伊達男とのカップル、このスキ
ャンダルは、津々浦々に瞬く間に波及していったことは想像に難くあり
ません。
その山三郎が1604(慶長9)年に刀傷して横死を遂げます。
阿国は、この当代きっての伊達男である愛人山三郎の亡霊を、観客席
のど真ん中に登場させ、次のように呼びかけます。
「思いよらずや、貴賤の中に分きて誰かと知るべき、いかなる人にてま
 しますぞ、御名を名乗りおはしませ・・・・・さては此世(コノヨ)に亡き人の
 うつつみに見(マミ)へ給ふかや」※※※※※
この演出は、観客がかって見たこともない空前絶後のものでした。

阿国は、各地を巡業した後、1607年(慶長12年)江戸城で勧進歌舞伎
(カンジンカブキ)を上演した後、忽然と姿を消しました。※※※※※※
名を馳せてわずか4年でした。

阿国の生まれ変わりであるジミ・ヘンドリックスは次のように言いました。
「I wish they’d had electric guitars in cotton fields back in the good
 old days.
 A whole lot of things would’ve been straightened out.」




通説−1572(元亀3)年生−では、阿国31歳のときです。

※※
この頃、祇園・北野等に集まる民衆を相手に、神社門前の茶屋女が次
第に遊女化しつつありました。
『茶屋遊び』に民衆は官能をイメージしていました。
これを巧みに取り入れ、劇を繰り広げたのが阿国です。

※※※
下記が、この頃、町衆の間で広く親しまれていた念佛踊りです。

光明遍照(コウミョウヘンジョウ)
十方世界(ジュッポウセカイ)
念佛衆生(ネンブツシュウジョウ)
摂取不捨(セッシュフシャ)
南無阿弥陀佛(ナムアミダブツ)
南無阿弥陀
南無阿弥陀佛
南無阿弥陀
はかなしや かねにかけては なにかせん
心にかけよ 弥陀の名号(ミョウゴウ)
南無阿弥陀佛
南無阿弥陀

「阿弥陀は決して見捨てない(摂取不捨)」という町衆の祈りは切実なもの
でした。

※※※※
延年舞(エンネンノマイ)は、慈覚大師円仁(ジカクダイシエンニン=栃木県出身
第三代天台座主)が、唐から将来した秘舞曲で、寺伝によれば848(嘉
祥元)年慈覚大師が日光山に来山された時、伝えられたものといわれて
います。
また、阿国、夫三十郎、愛人山三郎との関係は、現実と演出(仮想)の間
にあり錯綜しています。
阿国が、メタフィクションの名手であったことは間違いありません。
山三郎は実在しますが、阿国は、それをメタフィクションに利用しただけで
山三郎とは何もなかったのかも知れません。

※※※※※
ホルヘ・ルイス・ボルヘスが『異端審問−歴史の謙虚さ』の中で記した次
の言葉(文字通りではありません)を想い出します。
『ギリシアの劇はディオニュソス(豊穣)祭儀の一部で、12人の合唱隊を別
 にすれば、出演者は一人であった。
 アイスキュロスは、紀元前500年のある日、何の予告もなく、突然二人の
 役者を舞台に登場さた。
 アテナイ市民に衝撃が走った−ヴィクトル・ユゴー
 ・・・・・・・一から二へ、つまり単数から複数へと進み、ついには無限に
 至るこの斬新的移行の重要性を、たとえ朧気(オボロゲ)にせよ、(アテナイ
 の観客が)予感していたかどうかはわからない。
 二人目の役者の登場にともなって、対話が生まれ、無限の可能性を孕
 (ハラ)むことになった。
 未来における登場人物同士の相互作用が生まれた日であった』
本列島では、阿国が、単数から複数への斬新的移行を、メタフィクションを
交え確定させたとみて差し支えないと考えます。

※※※※※※
阿国は、多数の女性の芸能者の一人でした。
地方の多様な芸能を携え京都を目指しやってきた「アルキ巫女(ミコ)」の一
人でした。
遍歴(旅)という伝統は芸能と切っても切り離せません。
柳田国男に師事した堀一郎は「アルキ巫女」について次のように言って
います。
『今日も東北地方に残留している巫女の述懐によれば、彼女等が突如
 として漂白の旅に出るのは、その憑依神(ヒョウイシン)の<せせり>に堪え
 かねるからであって、その個人的な意志によると云うよりは、むしろ神
 の命ずるままに、歩かずにはいられない衝動のままに歳月も遠くまで
 歩くのだと云う』
日本書紀では、ヤマトヒメが、アマテラスの鎮座地を求めて探し歩き
近江、美濃をへて、伊勢の国に至ったとき、「この国にとどまりたい」とい
うアマテラスの声が聞こえたので、その<教えのまにまに>祠(ホコラ)を伊
勢国にヤマトヒメは建てたと記されています。
また、柳田国男の家には『御白様(オシラサマ)』が鎮座していました。
『御白様(オシラサマ)』は、気まぐれで、色々な場所を遍歴し柳田の家に鎮座
することになったそうです。
この『御白様』の服を脱がせ御神体を見た人々は死に至ったということを柳
田は『御白様(オシラサマ)考』の中で記しています−死に至った人の名を上げ
ています。
恐らく、『御白』は『オシロイ』で『化粧』のことです。
古来より、本列島の女性は、オシロイを施し、杖をつき(道を開けるという意
があります)、一人旅(他の国では聞いたことがない)を行っていました。
旅は、いつの時代もtravelで、troubleでした。
travelとtroubleは、同語源で背中合わせにありました。
しかしながら、他の国より遥かに安全だったということは、女性が神に近い
存在だったということと切り離せないと考えます。
このことは本列島が世界に類例がないほどの観光大国(JTB−1兆三千億
弱売上)であることとも深く関係していると考えます。
本列島は女性(の聖性)を大事にしていました。
それは、今のような西洋流ではありませんでした。
今でも、SEIKO、AYU、AIKO、NANA、YUI は「アルキ巫女」の伝統の中
にあります。

※※※※※※
出雲阿国の左側画像をよく見ると、十字の首飾りをしています。
十のイコンは、キリスト教よりも前に人類の前にありました。
宮古島では、はじめて子どもが外に遊びに行くときに、オデコに十の印をつけ
て送り出します。
田、米には十が存在し、それは『(豊作の)舞(マ)い−祭儀』と密接に関係して
います。
また、米は「マイ」とも読みます。
辻は、国字(本列島で創られた字)で、旅(遍歴)と密接に関係しています。
辷(スベル)も国字で、やはり旅(遍歴)と関係していたと考えます。
雨に塗れた坂を辷(スベ)りながら『アルキ巫女』たちは遍歴したのです。
十と一は、漢字では姉妹です。
紀元前の頃、一を縦にした|は十のことでした。

※※※※※※※
本ブログは、林屋辰三郎著『歌舞伎以前』によりました。
本著は、松岡正剛が書いているように震えが来るものでした。
名著です。
古本屋で80円でした。
松岡正剛が最後に
『このようにわれわれがいま日本の芸能文化を語れるのは林屋さんの
おかげであり、・・・・・・林屋さんは決して前に出ようとはしなかった人
でもあった。
権力や権威の一切を嫌っていた。
それは日本の歌舞伎以前の芸能者がつねに散所(サンジョ)や河原(カワ
ラ)や公界(クガイ)にいつづけていたことと無縁ではないだろう』
と書いています。
林屋辰三郎の視線も、マルチチュードに終生ありました。

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